>  TOPページ

【指南742 つながりこそが生きる力】

2018年3月7日

自由を失って手に入れた大事なもの

アメフトの試合中の事故で大怪我を負い、車いすの生活を余儀なくされた中村さん。一時は自ら命を絶とうとしたこともあると打ち明けます。しかし、今の中村さんにはそんな悲壮な様子はまるで感じられません。中村さんが生きる気力を取り戻したきっかけ—それは周囲とのつながりでした。

「事故に遭い入院してから1ヶ月が過ぎた頃、初めて入浴の許可が下りました。看護師さんのサポートを受け、専用の浴槽に浸かります。ですが、まったくお湯の温度が感じられない。それがすごくショックでした。さらに、ベッドに戻り上体を起こされた僕の目に、信じられないものが飛びこんできました。自分の足がまるで木の枝のように痩せ細っていたのです」

スポーツマンだった中村さんは、怪我をする前、太腿周りは、62cmもありました。それが、1ヶ月の寝たきり生活で、筋肉が落ちて足は骨と皮だけになっていたのです。
「その瞬間、僕の中で何かが崩れ落ちました」

初めて自分の運命を呪った中村さん。
「なんで自分がこんな目に遭わないといけないんだ。大学の同級生は毎日を楽しそうに過ごしている。なのに自分は何なんだ。食事を自分でとることもできない、Tシャツ1枚も自分で着替えることができない。排泄の処理は看護師さん任せ。唯一できるのは、ただ天井を見つめるだけ。明るい将来なんてもう自分にはやってこないだろう。」絶望の中で涙を流す日々が続きました。
しかし、その苦しみから救ったのが、4つ上の兄・珍輔(たかすけ)さんでした。就職して愛知で暮らしていた兄・珍輔さんは忙しい時間を縫って病院を訪れ、中村さんの身の回りの世話をしていました。そしてある日、珍輔さんはこう告げたそうです。「会社を辞めて、理学療法士の学校に行ってリハビリの先生になる。そして少しでもお前の力になりたい」と。そんな兄の優しさにふれ、中村さんは初めてあることに気づきました。

「僕は事故に遭って以来、すべてを失ったと思い込んでいました。でも、それは違うと。兄をはじめとする家族との絆。自分の帰りを待ってくれているチームメイト。大切な人とのつながりは怪我をする前と何も変わっていませんでした」

珍輔さんの熱意に打たれた中村さんは、真剣にリハビリに取り組むことを決意。それから2年半、1日も休むことなくリハビリを続けました。そして、ついに復学。家まで迎えに来てくれた友達に車いすを押してもらいながらキャンパスに着くと、そこにはひと足先に4年生に進級した同級生やアメフトのチームメンバーが待っていました。

「僕は怪我をしてたくさんのものを失いました。でも、それ以上に自分には大切な人とのつながりがあることを知ったのです。逆境に立たされたとき、最後に残るのは、お金でも地位でも名誉でもない。家族や仲間とのつながりなんです」

調子の良いときほど、私たちはつい自分の力だけで生きていると思いがちです。しかし、その陰でどれだけの人が支えてくれているか。そのことを忘れてはいけないと、中村さんの言葉が教えてくれます。
次回は、「優秀な人は環境に不満を言わない」です。ぜひご覧ください!

【指南742 つながりこそが生きる力】